マカオの旅!最新カジノ事情と世界遺産の楽しみ方。
中国であって中国でない!?マカオの深い歴史を通して、世界遺産ハンターからギャンブラーまで、世界中の人々を惹きつけてやまないその魅力に迫ってみます。
マカオ プロフィール
年間3000万人の観光客の流れ込むというマカオ。
マカオといえば…カジノでしょうか?それとも世界遺産?
「カジノ」と「世界遺産」
このふたつの異なった顔にはそもそも切っても切れない縁があるのです。
アジアとヨーロッパの交錯する町。
この10年間で注目度急上昇のマカオの持つ魅力を、順を追って見ていきましょう。
基本データ
名称:中華人民共和国 マカオ特別行政区
人口:64万人(2015年)
面積:28.6平方キロメートル(品川区とほぼ同じ / 世田谷区の半分ほど)
公用語:広東語、ポルトガル語
通貨:パタカ(MOP)・香港ドル(HKD)
半島部分からタイパ島を経由して~コロアン島までタクシーで移動したとしても、HK $70ほどなので、気軽にタクシーを使った観光が楽しめます。
マカオと香港をつなぐ所要1時間の高速フェリーが24時間運行
こぢんまりとした島(主要部分は半島ですが)なんですね。
香港旅行のついでに日帰りで足を延ばす観光客も多いようです。
香港から西南西へ約64km。マカオは中国広東省の珠海市とつながる半島部分、そして南方へ橋でつながるタイパ島、さらに南方へやはり橋でつながったコロアン島からなります。面積は28.6平方キロメートル、人口約52万人(2007年度)からなり、人種は95%が中華系、残りはポルトガル人やマカイエンサと呼ばれるポルトガル人との混血。
少数ではありますが、ポルトガル人やポルトガル人との混血の人がいらっしゃると。
この辺が世界文化遺産となったことと関係が深いようですね。
2005年7月15日、マカオ半島の8つの広場と22カ所の歴史的・宗教的建築物が「澳門歴史城區(マカオ歴史市街地区)」として世界文化遺産に登録されました。
その特徴は、16世紀から現代まで続く歴史と地理的な要素にあり、 アジアとヨーロッパの文化が融合した不思議な街並みと建物が現存する世界で唯一の場所は世界遺産として見応え十分です。
現在のマカオは埋め立てによって国土を広げましたが、歴史的な建物や広場は埋め立て前の狭い地域に密集しています。多くが坂道や丘の上にあるのはそのためで、それらの遺産を順番に巡ることで、マカオの歴史や文化、人々の生活まで感じ取れることでしょう。
セナド広場を中心にして多くの歴史的建造物がひしめいていて、そのエリアの石畳の路地は旧い面影をいまに残して、とてもエキゾチックです。
域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋のラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、東南アジア、東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。また、ドッグレースなどのユニークなギャンブルも存在する。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名で、この時期に多くの観光客をひきつけている。
確かに、2005年に世界遺産に登録されるまではマカオといえば「カジノの街」というイメージが強かった気がしますよね。ですがそもそも、どうしてカジノなのでしょうか。マカオはどのようにして「カジノのマカオ」という存在になっていったのでしょうか。その特異な歴史を通して何が見えてくるでしょうか。
歴史的背景
1499年にバスコ・ダ・ガマがインドへ到達して以来、ポルトガルはインド沿岸やマラッカ、香料諸島(インドネシア東部)などに次々と砦を築き、貿易を独占して莫大な利益を上げていたが、中国へも貿易拠点を確保しようとやって来る。ポルトガル人が最初に占領したのは広東省の屯門(現在の香港西部)で、1514年から7年間にわたってここを貿易拠点としたが、明の皇帝はポルトガル人が中国に朝貢していたマラッカを占領したことに激怒し、ポルトガル人を追放。以後、ポルトガル人は広東省や福建省、寧波の沿岸などで何度も上陸を試みるが明朝によってそのつど追い払われてしまう。
そんなポルトガルにチャンスが訪れたのが1553年。汪柏という広東省の役人に賄賂を贈り、「積荷が濡れたので陸で乾かしたい」という口実でマカオ滞在を認めさせたのだ。そして1557年以降、ポルトガル人は毎年役人に賄賂を渡しながら本格的にマカオに居座り続けるようになり、明朝は72年から毎年500両の地代を納めることを条件にポルトガル人のマカオ居留を正式に認めるようになった。
出典:マカオ
これがポルトガルとマカオのご縁のはじまりとのこと。
1553年て、日本では川中島の合戦があったそうです。戦国時代の話ですよね。
国同士のおつきあい、というよりも船に乗った貿易商と地方公務員の現場での駆け引きからはじまったというところが面白いですよね。
港あり。ワイロあり。
ところがそれから100年あまりたった1685年、清朝の海禁が解かれて海外貿易がはじまっとのことです。
清朝が広州を開放して欧米諸国の貿易船を受入れ、いわゆる広東貿易が発展すると衰退の一途を辿った。広州で貿易に従事する欧米人はマカオを休養地として利用することが多く、カジノ産業が発達して「東洋のモンテ・カルロ」と呼ばれるようになった。
それまでの「海禁」が解かれて清国で本格的に貿易がはじまったことで、中継貿易港としての存在価値が一気に落ち込んでしまったんですね。
それから船乗りたちの博打のメッカとして変身を遂げていったと…日本で言えば江戸時代頃からの伝統なんですね博打場が。
それが現代まで脈々と受け継がれてきているとは。
マカオ恐るべし。
そして、2013年12月に日本国際情報学会に発表された「マカオカジノとSTDM」(増子保志)という論文によると…
1847年、ポルトガル・マカオ政庁は、
賭博からの税金を取り立てるという目的で賭博経営を合法化する政策をとった。
合法化の背景として、1842年の南京条約締結後、香港がイギリスへ割譲されたことにより、
マカオにおける欧米諸国の対中貿易の地位が相対的に下がった事、
珠江河口に位置するマカオは、港の水深が浅いため、近代的大型汽船の寄港に向かず、
貿易の中心が英国領香港と上海を初めとする条約港に移ったことによる経済の衰退が挙げられる。
1835年に約37,000人であったマカオの人口は、香港の開港後半減した。
ふむふむ。
イギリスがアヘン戦争によって中国から香港を奪取したころから、ポルトガルの占領していたマカオのブランド力(経済的パワー)が落ちていくのですね。イギリスとポルトガルの世界での覇権の移り変わりとシンクロしている感じでしょうか。
マカオ政庁は1891年公認賭博営業免許の入札制度を導入した。一方ポルトガル本国においては、1896年に賭博が法律では禁止されたものの、新たにマカオでは利権の独占を企図した賭博禁止令を発布し、賭博を政府の許可制とした。1842年の香港の開港と1872年の香港での賭博業禁止がマカオにおける賭博業容認の要因となった。
中継貿易港としての地位を香港に奪われ、農工業の基盤に乏しいマカオとしてはカジノ産業を軸とする生き残りの政策を選択するしか他に採るべき道はなかったといえる。その結果、マカオで乱立していた賭博業者の整理
と更なる安定した財源収入を確保することとなり、マカオ政庁の財政は本格的に賭博業への依存度を深めていった。
なるほど。
国際貿易港として香港に完敗を喫したマカオ。
その香港で賭博が禁止された。商業が盛んだったので風紀とか治安が優先されたのでしょうか。
→
マカオは逆に貿易港としての生き残りをあきらめて、賭博を産業の柱にして公認した。
時代の大きな移り変わりとともに「カジノのマカオ」が誕生したという訳なんですね。
その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。
中国にはなったが、マカオはそれまでの在り方を「特別」に許されたと。
中国でありまがらもいわゆる中国ではない。
グレーです。
2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・カジノ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放し、その結果多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、コタイを中心に多くの新しいカジノやホテルができるなど、経済的発展が進んでいる。
21世紀に入って、海外の資本を引き込んで新たなる発展をとげようとしているわけですね。
激動の歴史は今も続いてるということなんですね。
しかも「カジノ」を軸として展開されているとは、個性的な土地ですよね。
それでは現代の「カジノのマカオ」としての発展をもう少し見てみましょう。
カジノ王
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この記事を作成したキュレーター
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